Section4 日記

 

<主旨>

このコーナーはまったく私の個人の記録のために開設しました。
遠方にいる友人などに見てもらえるとなおうれしいですが、基本的に
独り言です。


2004年12月24日金曜日 快晴

  『主にあってその大能の力によって強められなさい』(エペソ 6章)

 今日は母教会でジョイフルナイトがもようされたことだろう。10年前は聖歌隊で奉仕した。
もうあのような生活はこの先20年近く送れまい。教会生活が懐かしい。


2004年6月23日水曜日 快晴

  『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする』(コリントT 1:19)

 今月久しぶりに母教会へ行った。その中で「祈る前に神様の御声を聞かねばそれは
独り言と同じだ」と指摘された。今までの自分を戒められた気分だった。
 
 何か小手先の暗記や学習で信仰が深まったかのような気分になるのはかえって害かも
知れない。ありのままの自分を戒め、神様に悔い改めよ。

 話は変わるが大村はまさんという人の本を読んでいる。考えること、表現することの奥深さや魅力が
感じられる。今度「国語教室」の一冊でも読んで見ようか。


2004年3月6日土曜日 快晴

  このところ一日が長い、、睡眠時間が極端に減っているからかとも思う。
中学時代に挫折した剣道についていろいろ調べてみた。思えば、あの心臓
が破けそうな殺人的な「あら稽古」は、恩恵だったのかもしれない。あの辛さを思えば、日々のことなど些細な苦しみに思える。そう思い、最近朝から
のぼり坂道ダッシュを100mやっている。全速力でかけあがると具合が悪く
なるくらい息が苦しくなるがこれが精神を強くしているような気がする。


2003年12月28日日曜日 快晴

  瞬く間に4半期目が過ぎた。稼業であわただしく、なかなか気持ちの余裕が持てなかった。
ついでに言えばあまり生産したり執筆したりするほうへ関心が向かなかったのだ。忙しかった
のは口実の一つともいえる。
 今月は久しぶりに演奏会に出た。19世紀ギターで出たが、この楽器との愛称は頗るよいのかも
知れぬ。爪弾きとも指頭ともつかぬタッチでの演奏は思いのほか心地よい。
来月からワンレッスンでも続けたい。ソルの曲を追求し、最終的に「魔笛」を演奏したし、、。


2003年10月1日水曜日 曇り

  異様に最近睡眠が短い。元気ではあるが、波があり、夕方6時ごろは最悪の
体調となる。しかし、そういう試練の時間こそ、内部的な力を強化する時かも知れぬ。
人間肉体面が特に辛くなると、他人のあら探しをしたり責めたり(心中で)する。
口に出さなくとも、心で思っているだけで不快が襲い掛かる。容赦なく。

 全体、不愉快の原因は自己に内在する。勢いそれは他人への攻撃と自己正当化
から派生している。また、大衆的な文化、世俗的な快楽に身を委ねるのもかなりの
頻度で自己を弱体化させる。

 神の御心にそむくことは全てストレスとなるらしい。

 


2003年9月24日水曜日 曇り

  近いうちに関東に大震災が来るという説があり、各放送局でもその類の題材を
取り扱い始めた。通勤電車の途中におきたらひとたまりもないが、いざというときに
やはり瞬発力ととっさの判断力により延命度が異なると思う。今のうちから次の2つを
日々心がけている

 1.足腰や背筋は日々鍛える
  →片足スクワット、ピアノ椅子持ち上げなどのやや過酷な運動

 2.腹7分目〜8分目の状態を常とする
  満腹だと判断力が鈍り、また動作も緩慢になる。空腹を快楽と思えるのが良い。

 また、他人の悪口を言わない
  (不思議なもので、必ず自分にかえってくる。愚痴程度でも禁句
   「あいつにはつきあってられんよ、、」のこぼし類もバツ)
 ことや、忙しいからと他人を責めたりしている習慣があったら改めることも大事な事だ。
 なぜなら非常時にどれだけよき協力関係を持ちうるかがこういうときこそ大事だからだ。  
 これは聖書にも書いてある。
 裁いてはいけません。自分も裁かれます(新約聖書 ルカの福音書など)


2003年8月31日日曜日 快晴

  昨日はビウェラ講習会があったそうだ。
今年は時間がないため、どこへもいけないが、リュートの練習時間捻出は
案外できる。ビウェラも欲しいが家のスペースが。。。。


2003年8月24日日曜日 快晴

  アパート下階住人が引っ越して行った。
 不動産の話ではたいそう神経質な住人だったそうだ。
 しかし今回のことはいい教訓になった。

  HP開設から早くも3年経った。
 当時とあまり世の中は変わっていないように思える。大きくは、、。


2003年8月10日日曜日 快晴

  昔、「小食のすすめ」という本を読んだ。日本人はほとんど過食しているそうなのだ。
そういえば、昼食のあと異様に眠くなる。考えたら、ちょっと量が多いかもしれぬ。
消化すれば問題ないのだが、食事のたんびに思考活動が阻止されてはたまらない。

 そう思っていた矢先、ある休日に激しい腹痛のあと、嘔吐した。
やはりこれは過食のたたりだと思った。それ以来、少ない量をよく噛んで食べている。
不思議と、脱力感はなく、健康そのもので、かえって時間を有効に使えるようになった。

 どっかの宗教みたく、断食や一日一食、玄米菜食を実践したりはしないが、
ともかく、少なく、よく噛むようにして以来、胃袋がラクになった。生活も楽になった。

 腹八分目に医者要らずとはよくいったものだ。座右の銘にすべし。


2003年7月26日金曜日 曇りのち雨

  無線LANが無事開通した。これからは場所に制約されない。
 しかしルータやアクセスポイントの電源はこまめに切るよう習慣付けねば。。
 明日は晴れる様子。
 教会の人からメールがきた。アメリカへ宣教している。
 自分も9年前は宣教師や牧師になりたいと少し思ったが、神様は示されなかった。
 しかし、晩年になってからでも遅くはなかろう。今は一般人として過ごすのがよかろう。


2003年7月21日月曜日 曇り

 今年の梅雨はなかなか空けない。雨の日に家の中にずっといるのもしかしたまにはいい。


2003年7月17日木曜日 曇り

 我が家には古い柱時計がある。昭和初期のものらしい。水平に置かねばすぐに止まって
しまう。寝ていてもぼんぼんの音はなぜか気にならない。
 時計といえば思い出した。富士見市立図書館の時計台は5時になると鼓笛隊が出る。
冬の夜に一人さびしく聞いていたのが昨日の事の様だ。


2003年7月16日水曜日 曇り

  武蔵野台地にいる夢をよく見る。林と、砂利と、人気のない通り、ガラ空きの
駐車場。アパートには年中「入居者募集中」。幹線道路を一本またぐと、畑が続く。
無人野菜がある。だれかが外国のお金を入れてつるし上げられている。
坂を下りると。川が流れる。公共施設があり、車椅子の老人が見える。
一面は田んぼになっている。やや寒々しい。幹線道路が見える。
うどんやや牛丼やが点々と見える。付近に大きな図書館がある。椅子はがら空き。
また台地へと戻る。時々こんな週末をひっそりと過ごしたい。


2003年7月15日火曜日 曇り

 無線LANの機材を購入したはよいが、複雑でかつ失敗すると後戻りが困難だ。
こんなものを企業で導入したらいろいろ厄介なことが増えるかもしれない。
しかし、時代の流れには逆らえぬと心得、個人レベルで練習しておこう。
そして、犯しやすい間違いを体験によって拾っておいたほうがよかろう。
この手の設定需要は急増するかもしれぬ。


2003年7月14日月曜日 曇り

 三鷹に住んでいた時分、白熱球の美に遭遇した。
 今でも、家の照明に英国の白熱球を使っている。60Wで「暗い」と言われるが、
日ごろ事務所の中で蛍光灯に疲れているせいかやや暗いほうが落ち着く。
今のアパートはやや手狭だが、こうやって照明を選べるところが救いだった。
 どうも蛍光灯は落ち着かなくっていけない。そういえば、人気のある食堂は
すべて白熱球を使っている。ただ我が家のそれは、ソケット部分が西洋式
なのであまり手に入らない。ささやかな贅沢だ。とはいえ、あまり高くはない。


2003年7月11日金曜日 快晴

 無駄に考える。無駄に話す。無駄に動く。無駄に気を使う。
静かな生活を心がけることでこれらが少し減っていくようだ。
そのほうがストレスにならない。
心を沈めて神の御声に耳を傾けるよい機会であろう。
ストレスが極限までくると、依存心が強くなり、おのれを見失いやすい。
又、幻想を抱き、それを拠り所にするなどの心境も見られる。
最近おあかしを更新していない。そろそろお証をしよう。


2003年7月10日木曜日 雨

 今日アパートの下の住民から椅子を引く音が聞こえてうるさい、という手紙が来た。
静かな生活を心がけよう。声の大きい人や多弁な人をうらやましく思ってきたが、
常時物静かに、控えめに生きるのも悪くないと思えてきた。
そういえば、小学生の卒業文集で「20年後の私」というタイトルの小作文でこんな
ことを書いたのを思い出した。
 『アパートに一人住まいで、いるかいないかわからないような生活をしていると思う』
随分ひねくれた小学生だと思うが、要は平穏な生活を求めていたのだ。
それは今も変わらない。平穏が一番。


2003年7月7日月曜日 雨

 忙しいと、周囲に敵意を抱きやすい。何かにつけ「非難されているのでは」と思いがち
だが、それは、自分が他人を責め立てている証拠だろう。忙しいからと言って周囲を非難
せぬよう、そういう場面でこそ、じっくり一つのことに集中するマインドコントロールが必要
であろう。


20037月3日木曜日 雨

 気のせいか、30代になってから時間の流れがゆっくりだ。若いときはいろいろな事に
手を出しすぎて時間が足らなかったんだろう。20代の特に後半はいろんな事を試みた。
その中で唯一今でも続いているのがリュートだ。27歳の時からはじめている。今年で
もう7年になる。あまりレパートリーはないが、手軽に楽しめる曲がいくつかあって、
適度に緊張できる場面が一年に一回か二回あればいい。
 リュート曲はとっつきが悪く感じるが、長年にわたって聞き続けたいものが多い。


7月2日水曜日 くもり

 水天宮の近くにドイツパンの店がある。すっかり気に入ってしまい、昼食はそこで買うことが
多い。もうかれこれ7年くらい通っている。一体どうやって作るのか、、。材料など一般的で
ないのだろう。
 10年前、本場のドイツに行った。そのときの食感はよく覚えていないが、やたら塩辛い
パンが多かったのを覚えている。昨年イタリアを旅行したときも、パンはくせがあった。
あまり知らないのに大きなことは言えないが、パンは日本がおいしいのでは、、と思う。
 社会人になって、引越しを何度かやったが、行く先々でおいしいパン屋を発見するのが
楽しみだ。日本が自慢できる食文化の一つがパン屋ではないか、、と勝手に思う。


月1日火曜日 雨

 聖句がやや形式的になりがちなので、本文だけにした。
なんでもそうだが、あからさまに言わんとすることを冒頭に置くとしらけてしまう。
三浦綾子さんの小説はいきなり牧師さんが聖句を言ったり、イエスの十字架の罪を
言ったりはしない。それより日常的な描写でもって、人間の罪を描く面がより
強調されている。文学と信仰はやはりごっちゃにしてはまずい。
同じようにデボーションと日記はまた別個に行うべきである。
2003年の後半一日目、そういった区別が大事に思えてきた。

今日から家計簿をつけることにした。
できれば、複式簿記で、資産の洗い出しや、債権、債務の細かい部分まで
把握したかったが、それはなにかしら商売を始めたときに考えるべし。


6月18日水曜日 曇り

聖句:「 心の曲がった者は主に忌み嫌われる。しかし真っ直ぐに歩む者は主に喜ばれる」箴言11:20

 
湿度の高い日は洗濯物が乾かないが、ストーブを炊くと空気が乾き、簡単に乾く。
なぜ気がつかなかったろう。
 そういえば、6月30で電気がなくなるなどという記事の見出しを電車のつり広告で見た。
あれは警笛に違いない。このままIT化などが進むと電力がはなはだしく浪費されるのでは。

 そんな時、リュートの自然な音は慰められる。今年は水戸先生の講習会は受講できない。
しかしファイナルコンサートだけでも行きたいものだ。12月には発表会がある。ニコラバレの
パッサメッツォとガリアルドを弾こう。3年前の受講曲だが、まだまだあの曲から学ぶものは
大きい。


5月2日金曜日 快晴

聖句:「 主は正しい者を飢えさせない。しかし悪者の願いを突き放す」箴言10:3

 
久しぶりにアンドレス・セゴビアのCDを聴いた。クラシックギターの世界でしかあまり
知られていないが、至上屈指のギタリストと言われている。最初は録音技術のせいか
音が汚く聞こえたが、改めて聴くと、心温まる演奏に思えてきた。
 アルベニスの「グラナダ」は特に感銘を受けた。今年はクラシカルギターコンクール
観戦に行きたいが、、


4月7日月曜日 晴れ

聖句:「 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」 箴言9:10

 
今日から多くの学校では入学式なので、それらしき親子連れが多く見られた。
こうやって毎年確実に新しい一年がくることを実感する。当然毎年歳をとる。
昨日、「情熱大陸」という番組で、五木寛之さんが出ていた。
70歳にもなるがいつまでも生気みなぎり、若々しい。
情熱を持って歩んでいる人はそういう人が多いのだろうか。
彼の生き様を見習いたい。


12月26日木曜日 晴れ

聖句:「 訓戒を聞いて知恵を得よ」 箴言8:33

 
昨晩、割れるような頭痛が襲った。きをつけよう。
特に酒の回しのみは危険だ。幸いに酒はやめた。
あれを飲んでいた時分(1999年まで)は退廃的な感じがする。
あれはあれでよかったのか。。
 2000年6月にぴたりと辞めた。
 2000年紀に入って3年がたとうとしているけれども
案外いいことが多い。ノストラダムスの預言はいずこへ、、
とはいえ、世は不況が進んでいるが。。


12月7日土曜日 雨

聖句:「 全地よ。主に歌え。日から日へと、御救いの良い知らせを
    告げよ」
    歴代誌T 16:23

 
冷たい雨が降った。最近、過去にアクセスしていたHomePageが多く
閉鎖している。ブロードバンドに乗り換えて、プロバイダ変更したものも
多かろう。彩ネットはもう6年使っている。電話応対は正直言ってよくない
人も中にはいるが、埼玉県のローカルネットとしてがんばってほしい。


12月4日水曜日 曇り

聖句:「 また、互いに勧めあって、愛と善行を促すように
    注意し合おうではありませんか」
    ヘブル書 10:24

 朝、駅前で柿が100円で4つくらいはいって売っていた。
一瞬迷ったが、出勤前だったので、やめておいた。
もったいなかった。柿も終わりになるとこうも安くなるのか。
京王稲田堤北口の一こまだった。


12月3日火曜日 晴れ

聖句:「 永遠の愛をもって、私はあなたを愛した。
     それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた」
    エレミヤ書 31:3

 最後の日記から半年も過ぎた。
 先週末、久々に富士見市を散歩した。
 鶴瀬の東口はあいかわらず古い町並みだった。
 ただ、回転焼きの店がなくなっていた。
 もうひとつ大きなものがなくなった。
 60歳を目前にして、関沢在住の松田さん(ギタリスト)が
 亡くなった。(8月11日)
 いつか、追悼の演奏会でも開きたいものだ。
 彼とは晩年の2年しか付き合いがなかったが、
 自分の中で大きな存在だ。


6月1日土曜日 晴れ

聖句:「 私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。」
    詩篇 4:3

 とてもいい天気だったので、ふとんを干したりした。
また、風呂場は塩素系の薬品で洗った。
来週はバルサンでもたいておこう。
 今日はひさびさのリュートでのレッスンだった。
スペインとイタリアのビウェラ曲を弾く。


5月31日金曜日 晴れ

聖句:「 救いは主にあります。」
    詩篇 3:8

 約2ヶ月ぶりで日記をつける。先週は滝野川会館というところで
故)鈴木貴博さんの追悼コンサートだった。未完成ながら
19世紀ギターで演奏させてもらった。彼のもとへ届けばよいが。
主催してくださった先生や、運営の方々、聞きにきてくださった
方々へ感謝せんばかり。
 南北線の西が原というところであった。なかなかよい感じの下町
だったが、文化的な香りもあった。
 今日は思いっきり帰りが遅くなった。
 明日寝坊したくないが。。。。せっかくの土曜なので。


3月29日金曜日 雨

聖句:「 幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は」
    詩篇 2:12

 先日知り合いのつてで、近江楽堂で演奏をさせてもらった。
演奏はぼろぼろだったが(^^;)気持ちよく弾けた。
 最近はじめて原付に乗った。怖いものだとおもったが、
使わざるをえない場面も出てくるのだろう。
 できれば車がよいが、中野島は車が持ちにくい。
埼玉にいたら車を持っていたと思う。


2月16日土曜日 快晴

聖句:「 主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう」
    詩篇 29:11

 4ヶ月ぶりの日記となる。引越しなどもあり忙しかったが、ようやく落ち着いた。
やはり継続して何かをやるべきだろう。日記もそのひとつで、何かをきっかけに
途切れてしまうと、何か不安になる。
 埼玉の富士見市は、やむをえない事情で離れてしまったが、又何年かしたら
戻りたいと思う。ただ、多摩のほうも静かで落ち着いててよい。少々高いが、、
 しかしそのときは主が導いてくださろう。
 このような時代だからこそ、平安を主に求めるべきだ。カネボウに勤めていた、
三谷康人さんという方は、降格、左遷に対しても平安を保ち、
主を信じ、カネボウ薬品の取締役にまでなったという。
本当に主を信じて入れば、少々手厳しい境遇でも平安でいられるものだ。
こういうことを大きな声ではいえないが。。


10月2日火曜日 快晴

聖句:「 初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。
     やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」
    創世記 1:1−2

 しばらくさぼっていたが、くりさんから「最近更新してないね」と言われたのを
思い出し、書いている。
 人間、先延ばし癖がある。なんでもかでも、せっぱつまらなければ動かない。
 しかし過去にそれで痛い目にあったことがある。
 2日以内に日引越し準備をせねばならなくなったとき、
本当に生死をさまよう思いをした。
 2度と同じ思いをしたくない。
 しかし、今は信仰をもって、そのような状況でも乗り越えられるような気がする。

 ある事情で、数ヶ月以内には現在住んでいる富士見市を離れねばならないが、
なごり惜しい。でもそれも不思議な話だ。数年前は、町田市から富士見市へ
引越し、えらく田舎なので嘆いたが、それが今となっては第2の故郷となりつつある。
 住めば都とはこのことだろう。

 先日、1年ぶりに佐世保の実家に帰って、親父さんと話した。
 帰るところはやはり生まれたところがいいが、、、


 

 


8月23日木曜日
 晴れときどき曇り

聖句:「 私は、私の愛する方のもの。
     私の愛する方は私のもの。
     あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。」雅歌6:3

  
三鷹に住んでいた時分を思い出すことがある。
一年だけだったか、いろいろあった。45kmマラソンにも挑んだ。
リュートも弾きまくった。
生活は充実していたが、あまり余裕がなかった。
人間、静かなところになれると、にぎやかなところへは順応が難しい。
それだけに、、、転職などというものは軽々しくすべきでないと思う。



8月1日水曜日
 晴れときどき曇り

聖句:「 私の愛する方が戸の穴から手を差し入れました。
     私の心は、あの方のために立ち騒ぎました」雅歌5:4

  
聖書の中でも雅歌は特殊なのだろうか。
  いったい何が恵みのことばなのか分からない。
  しかし、神様の教えがここにかくされているのだ。
  私の目が開かれれば、必ずわかるはず。

  雅歌での説教があれば聞いてみたい.。
  誰か知っていたらここまで連絡ください。



7月31日火曜日
 晴れときどき曇り

聖句:「 わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、
     あなたには何の汚れもない」雅歌4:7

  
暑さがましてきた。
  今回の夏は暑いが昨年ほどつかれを感じない。
  節制をしているからか。

 



7月30日月曜日
 晴れ

聖句:「 見なさい、あれはソロモンの乗るみこし。
      その回りには、イスラエルの勇士、60人の勇士がいる」雅歌3:7

  
聖句のグリーティングカードがとどいていた。
  BGMにバッハのカンタータ153番で、とてもよかった。
  こういう聖書の読み方もあるんだと本当によい発見だった。



7月29日日曜日
 くもりのち晴れ

聖句:「 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやってきた。
      山鳩の声が、私たちの国に聞こえる」雅歌2:12

  
少しつかれたので、きょうは早く休もう。
  なんか気候の変化だろうか。
  先週は少し気をつかうことが多かったのだ。



7月28日土曜日
 くもり

聖句:「 女のなかで最も美しい人よ。
     あなたがこれを知らないのなら、
     羊の群れの足跡について行き、
     羊飼いの住まいのかたわらで、
     あなたの子やぎを飼いなさい。」雅歌1:8

  
銀座の王子ホールで村治奏一のコンサートを観た。
  ほぼ満員で、また、活気あるコンサートだったと思う。
  奏一氏はいたって気さくな感じで、しかし、演奏のときは
  見事なメリハリで難曲を弾きこなしていた。

  今日は友人2人を誘って行ったが、2人とも満足していた。
  いい週末だった。

 



7月27日金曜日
 くもりときどき晴れ

聖句:「 空の空。伝道者は言う。すべては空」伝道者の書12:8

   
どんなときでも、気を抜かないことだ。
  たとえ、調子のいいときでも。
   どんなときでも落ち込まないことだ。
  たとえ、目標を失ったときでも。
   ありのままを受け入れることがすなわち幸いなのだ。

   幸せとは、かように相対的なものなり。
   少なくとも人間の世界ではそうだ。
   しかし、神の国では違う。信じるものが幸いなのだ。
   使途パウロも、ローマ書でしきりにそう言ってる。。




7月26日木曜日
 くもりときどき晴れ

聖句:「 あなたのパンを水の上に投げよ。
     ずっと後の日になって、あなたはそれを見い出そう」伝道者の書11:1

   
人参茶を煎じたものがおいしいと思う。
   薬局で買った。
   三鷹市から富士見市に引っ越してから3年近くたつ。
   薬局のおばさんに「ひさしぶりだけど顔色がいい」といわれた。
   将来はやはり緑のおおいところで住むがよかろう。
   
    年末ごろに移住を考えている。
   南武線の稲田堤、あたりどうかと思う。比較的安いそうだ。
   新宿まで31分、川崎まで32分。悪くはない便で公園や文化施設も
   多い。多分コンビニなんかが少ないのだろう。




7月25日水曜日
 くもりときどき雨

聖句:「 もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。
     しかし知恵は人を成功させるのに益になる」伝道者の書10:10

   
往々にして、文句の数と心の平安は反比例の関係にある。
  そうもいかないの人間だが、それに対して文句はいわないほうが
  よい。その弱さは受け入れればよい。
  と、そう思った。




7月24日火曜日
 晴れ

聖句:「 知恵ある者の静かなことばは、
     愚かな者の間の支配者の叫びよりは、
     よく聞かれる。」伝道者の書9:17

   
今日は猛暑だと言われていたが、
  冷房のきいた室内よりむしろ、外のほうが気持ちよかった。。

  あまり暑いのは最近苦にならないが、
  どうしても寝不足になる。
  睡眠薬に頼るのも危ない。
  アルコールも中毒になりやすい。
  やはり運動しかなかろう。




7月23日月曜日
 晴れ

聖句:「 だれが知恵ある者にふさわしいだろう。
     だれが事物の意義を知りえよう。
     人の知恵は、その人の顔を輝かし、
     その顔の固さを和らげる。」伝道者の書8:1

   
いろんな判断は自分だけではできない。
  自分だけで判断しても、事後にこれでよかったのかと
  確認してはじめて心が安定する。

  常にそこまで冷静になるのは至難の業だが、
  実践できなくはない。

   「思い込み」と気がついた時点で、引き返し、
  誰かに相談したことにより、難を逃れたことは数え切れない。

   それだけ、一人の人間の知恵ははかないのだ。




7月22日日曜日
 晴れ

聖句:「 悲しみは笑いにまさる。
     顔の曇りによって心は良くなる。」伝道者の書7:3

  
諸用で久々に三鷹市へ行った。相変わらずカラスが多かった。
 井の頭公園で、「ウード」を持っていた人がいた。
 わずか一年とはいえ、あすこに住んでいたんだ。
 でも考えたら本当に恵まれた地だった。



7月21日土曜日
 晴れ

聖句:「 多く語れば、それだけむなしさを増す。
    それは人にとって何の益になるだろう」伝道者の書6:11

 
今日は終日ゆっくりした。
 NHKの「ちゅらさん」というドラマはおもしろい。
 今日も暑いが、夕方は涼しい。
 明日は教会だ。早く寝よう。


7月20日金曜日 晴れ

聖句:「 神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。
    神は天におられ、あなたは地にいるからだ。
    だからことばを少なくせよ」伝道者の書5:2

 今日はみずほ台の自然を満喫した。
 部屋も片つけた。
 友人を呼んで、枝豆&焼きナスパーティをやった。
 こんな休日は久しぶりだ。

 


7月19日木曜日 晴れ時々曇り

聖句:「 ふたりはひとりよりもまさっている。
     ふたりが労苦すれば、よい報いがあるからだ。」伝道者の書4:9

 
最近、ドイツパンの『タンネ』にまたゆきはじめた。
 あすこの「セーレン」はことごとく美味であると思う。
 そういえば昨年の夏は一日の食事があすこのパンだけだった。
 とてつもなくストレスがたまっていた。

 


7月17日火曜日 晴れ時々曇り

聖句:「 神のなさることはすべて時にかなって美しい。
     神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
     しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから
     終わりまで見きわめることできない。」伝道者の書3:11

夜に雷がなった。
今週生協は休みなので食卓がさびしい。
といって、コンビニおかずでにぎわすのも高コストだ。
しばらくはいいだろう。


7月16日月曜日 晴れ時々曇り

聖句:「 私は心の中で言った。
    「さぁ、快楽を味わってみるがよい。楽しんで見るがよい。
    しかし、これもまた、なんとむなしいことか」伝道者の書2:1

 毎朝立ち寄るミニストップで、いつも同じ時刻に柏原芳恵の
曲が流れている。
 なんという曲かわからないが、20年前を思い出す。
「しのび愛」とか、「最愛」とか「夏模様」とか。。。
マイナーなので知らない人も多いだろう。
有名どころはやはり「春なのに」か?
当時は「パリンコ学園NO1」という番組に出て大ブレイクだった。
小生は相棒の松本伊代のほうが好きだったが。。

たしかにこういう快楽への没頭はやりすぎるとむなしい。
がそれを否定的に捉えてはならないと思うのだった。

 


7月15日日曜日 晴れ

聖句:「 空の空。伝道者は言う。
     空の空。すべては空」伝道者の書1:2

 今日の説教は意義深かった。
 縁起をかついでも答えられるものではない、ということ
 (ちょっと過大解釈)だった。神のみこころでないかぎり。。
 もっとも今日は第二礼拝に出られず、
 第四礼拝にいったのだが、メッセージは塚田先生だった。
 よく、「あれを食べれば運がついてくる」とかいうが、
 軽い気持ちならまだしも、本気ならちょい面倒になる。

 もし自分の信仰体験で、日常的なものに紐付けで
 記憶に残っているものがあれば、それを切り離して
 考えてみよう。いろんな先入観に支配されている。
 「空の空」という境地に、人間は達することができるか。。
 神様によってそれは可能であろう。


7月14日土曜日 晴れ

聖句:「 強い酒は滅びようとしている者に与え、
     ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ。」箴言31:6

教会の姉妹の結婚式だった。
だんなはイギリス人。
あまりに男前なので驚いた。俳優になってもおかしくないと思った。

ワインクーラで乾杯し、楽しい会食。
しかし朝の奉仕はもっと楽しかった。
結婚式の奉仕はいろんなことを含め、
10回ほどやっているが、やるたびに
喜びがあるのはなぜだろう。
これまで不愉快になったことはない。
それはおめでたい性格なのだろうか。。。


7月13日金曜日 晴れ

聖句:「 確かに私は人間の中でも最も愚かで、
    私には人間の悟りがない」箴言30:2

「難民を救う会」のコンサートとして佐藤陽子のヴァイオリンリサイタル
へ行った。
ヴァイオリンのことはようくわからないが、
バッハの無伴奏は感動した(BWV1000)、、

なので今日は帰りが遅かった。。。
帰りがけ、ひさびさに馬車道(パスタのファミレス、しかも埼玉限定)
へ立ち寄った。

最近土曜日の時間調整がちょっと難しい。
やはりいくつも同時にいろんなことはできないと痛感するが、
何より人と人との関わりを優先としていきたい。
物理的にそれができない時が辛いが、、


7月12日木曜日 晴れ

聖句:「 人の高ぶりはその人を低くし、
     心の低い人は誉れをつかむ」箴言29:23

 久々にナルシソ・イエペスの演奏を(CD)聴いた。
93年、96年と私は師のコンサートに行ったが、
杖をつきながらの入場は、痛いげだった。
でもさすがマエストロ。
ギターを抱えるとさっそうと弾き始め、
シャコンヌ(BWV1004)は本当に感動した。
しかも私は2階席(グリーンホール相模大野)だったが、
ハーモニックスが明確に聞こえるのが驚きだった。

93年のコンサートはまさに私にとって衝撃だった。。
まもなく師は亡くなるのだが。。。

ギターの巨匠にセゴビアとイエペスがあげられる。
私はイエペスの演奏が心に残るなぁ、、
ちょっとかたい感じの響きがよかった。
リュート講習会で某ひょうきんな方がヴァイスの「ファタジア」
で受講し、ふざけて
「ちょっとイエペス風に」とリュートを弾きながら
冗談をとばしていたが、そのことをふと思い出し、
イエペスを聞いてみた。

クラシックギターのCDを初めて買うなら、「イエペス」
がいいですよ。。と私は勧めたい。

最初に習った師匠(兼子隆雄)には
「なんといってもアンドレスセゴビアだね」と言われたが、
いかんせん録音の質があまりよくなく、、、残念ながら。

セゴビアの生演奏も聞きたかったが、
師が亡くなった日は1987年。私はテニス(部活)と
受験勉強(半分脅迫観念)にあけくれ、ギターは
放り出していた。

 


7月11日水曜日 晴れ

聖句:「 自分のそむきの罪を隠すものは成功しない。
     それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける」箴言28:13

 すしの中で一番好きなものは、、といわれたら答えに困る。
 しかし、「ちらしずし」は一番の好物だ。
 残念ながらあれのおいてあるすし屋は回転寿司では見たことがない。
 何でこんなことを思ったかというと、最近すしが安売りされているからだ。
 日持ちがしないんだろう。
 

 


7月10日火曜日 晴れ

聖句:「 明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、
     あなたは知らないからだ」箴言27:1

  少し前に通っていた教会を思い出す。
 インマヌエル教団のひとつだが、そこに2年ほどお世話になった。
 転入会も一時考えた。しかし、今の所属教会(聖書キリスト教会)
 を離れる理由がなかった。
  鶴瀬教会の兄弟姉妹、そして先生がたにはとても申し訳なかったが、
 何かをやり残した気がして、母教会に戻った。
  昨年11月の決意だった。

  しかし、よほど強い確信がない場合は、転入会はしないほうが
 よいと思った。


7月9日月曜日 晴れ

聖句:「 偽りの舌は、真理を憎み、へつらう口は滅びを招く」箴言26:28

 つくづく、生きるうえでの喜びは、自己と直面し、それを認識するところ
を通過せざるをえないと思う。
 それは人に指摘されることもあるが、基本は本人の自発性である。
 どんなに道理にかなったものであっても、本人が納得しない以上、
多くの教えや思想は、無意味となり、時に害となる。
 だから失敗はそれを気づかせる最高の治療だと思う。

 そこには過去の失言も含まれる。


7月8日日曜日 晴れ

聖句:「 あなたは隣人と争っても、
     他人の秘密を漏らしてはならない」箴言25:9

 今日で教会の朝の勉強は終わった、、と思いきや、しばらく続きそうだ。。。
 今日は午後、ミッションバラバの人のメッセージでとても面白く聞けた。
 そのあとはフェロシップで交わりを持った。

 いい天気で、涼しい日和だった。絶好の行楽日和だったので、
 電車に乗った人は大変だったと思う。


7月7日土曜日 晴れ

聖句:「 もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、
     あなたの力は弱い」箴言24:10

 今日はいい気候だ。
 ひいていた風邪のほうもすっかり治った。
 もう2度と風邪はひきたくない。

 午前中にいろいろ仕事を片付けると一日が充実してくる。
 これから渋谷へ映画を観に行く。
 JSAという韓国の映画だが、とても好評だったらしい。


7月6日金曜日 曇り

聖句:「 富を得ようとして苦労してはならない。
     自分の悟りによってこれをやめよ」箴言23:4

  Gメン75が放映されている(スカパー ファミリー劇場)
 私はあの薄暗い70年代後半の風景がたまらなく好きだ。

 小学生の頃、土曜日だったが、そろばん塾に通っていた。
 そのとき、帰ってきて一息ついた時間、西日が差し、
 Gメンが放映されていた。
 将来いつかは、自分も六畳のアパートで、西日の時間に
 優雅な土曜のひと時を過ごしながら暮らしたいと思っていた。
 なんと地味な夢だったのだろうか。
 その夢は見事に実現した。
 要するに平凡な生活をしたかったのだ。
 しかしながらいつでも現状にありがたみを感じていたいと思うが
 これは意識しないと難しかろう。
  (これは現状に慢心することとは異なるので、、念のため)

 人間はゴウマンだからだ。。


7月5日木曜日 快晴

聖句:「 自分を富まそうと寄るべのない者をしいたげる人、
    富む人に与える者は必ず乏しくなる」箴言22:16

  またもスカパーネタになるが、「若草のシャルロット」というアニメが放映
された。これは1977年に放映された。当時小学校2年生だった小生は
ろくろくストーリーも知らなかったが、キャラクターやら舞台やら何から
何まで地味だったように思う。
 しかし、オープニングテーマは、他のアニメと一線を画していた。
 これに匹敵するのは、「メーテルリンクの青い鳥」(1980年)の
エンディングあるいは、「キャンディキャンディ」(1976)のエンディング
くらいだ。
 忘れがたい郷愁が漂い、また見たいと思わせる何かがあった。
 当時は、少女漫画が全盛期だったのだろうか。
 この他にも、「はいからさんが通る」とか「女王陛下のプティアンジェ」
とかお茶の間、そして子供向けの雑誌「テレビくん」などをにぎわした。
 
 けどアニメで一番好きなのは、タツノコプロのファンタジーものだった。
「ポールのミラクル大作戦」「風船少女テンプルちゃん」
「新みなしごハッチ」(newバージョンのほうがよくできている)
あたりか。しかしながら、これらはレンタルビデオがあまり見当たらない。

アニメとそしてゲームは麻薬のようだ。


7月4日水曜日 快晴

聖句:「 勤勉な人の計画は利益をもたらし、
    すべてあわてる者は欠損を招くだけだ」箴言21:5

  聖書の関西弁訳という本を、紹介してもらった。
 一部だけだが、げらげら笑った。
 今度読んでみよう。
 紹介をうけた部分は以下のような感じだ 
  ( )内は新改訳聖書のマタイ伝6章より 
  

 天にいたはるわてらの神はん、
天にまします我らの父よ。)

あんたはんの名前が崇められますように願ってまっさ。
ねがはくは、御名をあがめさせたまえ。)

ほいで御国がきますように
御国をきたらせたまえ。)

あんたはんの思いのままになりますように
天にあるように地でもよろしゅうに
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。)

わてらの必要な食いもんは今日ちょうだいできますように
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。)

わてらの至らんとこは勘弁してちょうだい
そん代わりわてらも他人はんの至らんとこはゆるしますよって
我らに負債(おいめ)あるものを、我らがゆるすごとく、
 我らの負債をもゆるしたまえ。)


ほいでどうかわてらを誘惑に遭わさんとってちょうだい
悪い奴らからもすくってちょうだい
我らをこころみに会わせず、悪より救いいだしたまえ。)

ちょっと語尾がくだけすぎだと思うが、、、


7月3日火曜日 快晴

聖句:「 だまし取ったパンはうまい。
    しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる」箴言20:17

  学生時代、こんなことをいう先輩がいた。
 「だまされるやつよりだますやつのほうが頭いいんだよ。
  だまされたやつがあほなんだ」
 
  そんな愚かなことを教えているその先輩がかわいそうに
 なった。なんとか先輩の期待にこたえて成果をだしたかったが、
 私のエゴのために不満を与えてしまった。

 懐かしいが、そのときに2度と戻りたいとは思わない。
 自分にも非があったからそのようなやっかいな自体に
 なった。その事をしかし、直視できない。
 それはやらなくてもいいことだろうか。


7月2日月曜日 快晴

聖句:「 人の心には多くの計画がある。
     しかし主のはかりごとだけが成る」箴言19:21

  確かにすばらしい考えや、教えは人を豊かにするが、
 それを受け入れる自分をつくることも重要で、むしろそちらの
 ほうが大事といえる場合もあろう。

  そう思い、7年前、断食をした。一週間。
  その前も学生時代に、10日間断食した。

  尾山先生も、断食は主の御声を聞くには不可欠とおっしゃった。
 やはり断食は、信仰に生きるものにとって欠かせないのか。
 しかし、基本は、日ごろの腹八分目がもっと大事だと思った。

 今日、断食道場も開いている神楽坂のハピネスというところへ 
 行き、久々にカルシーを飲んだ。断食時代のことを思い出し、
 いつかまたやろうと思った。

 自分の力だけでやると必ず失敗する。それが教訓だった。

 


7月1日日曜日 快晴

聖句:「 人の心の高慢は破滅に先立ち、
     謙遜は栄誉に先立つ」箴言18:12

 リュート講習会二日目。
 無事に終わった。
 来週から「スペインのフォリア」に挑戦しよう。
 病み上がりだったので、打ち上げはパスして早く
 帰宅した。

 今日は暑かった。
 路傍伝道に出た人が無事かどうかちょっと気になる。


6月30土曜日 雨時々曇り

聖句:「 友はどんな時にも愛するものだ。
     兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」箴言17:17

 リュート講習会だった。今年は少し淋しい。
 不景気の影響だろうか。
 自分もいつまでレッスンに通えるかはわからないが、
 せめて年に一度のこの講習会には参加し続けていきたい。
 今年で8回目の受講になる。
 最初は本当に人前で演奏などめっそうもなかったのだが、、、

 今年は19世紀ギターでの参加をした。
 この講習会が終わったらソルの「スペインのフォリア」をはじめよう。

 sky perfectTVで「がんばれレッドピッキーズ」(林寛子主演 1978)
 があった。

 自分の小学生時代の事柄を思い出し、一瞬昔にかえった。

 


6月29日金曜日 晴れ

聖句:「 みことばに心を留める者は幸いを見つける。
     主に拠り頼むものは幸いである」箴言16:20

昨日の薬が効きすぎ、今朝は眠くて仕方なかった。
体調は頗るよい。

くりさんのホームページで何人かの人が心配してくれた。
くりさんは元気だろうか。

 


6月28日木曜日 晴れ

聖句:「 心に喜びがあれば顔色を良くする。
     心に憂いがあれば気はふさぐ」箴言15:13


 午前中病院へ行ったが、混雑しており、ちゃんと診察してもらえなかった
気がする。2時間も待たされた。。何ともないといわれた。
 薬を飲んだら眠気が差し、午後はまともに動けなかった。

 しかし最近は考えを前向きにするよう努めているせいか、
本当に治った気がした。
 やぶ医者呼ばわりするの言いすぎだが、今日の先生は、
もと精神科医だったのかもしれなし。


6月27日水曜日 曇りのち晴れ

聖句:「 心がその人自身の苦しみを知っている。
     その喜びにもほかの者はあずからない。」箴言14:10


  朝は猛烈に具合が悪かったが、昼下がりによくなった。
 食事の量を減らしたらだいぶ楽になる。

  最近新聞をあまり読んでいない。
  小説や新書ばかり読んでいると厭世的になる。

  それはとてもよろしくない。


6月26日火曜日 曇りのち晴れ

聖句:「 富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。
     貧しいように見せかけ、多くの財産を持つものがいる」箴言13:7


  午後の昼下がりは、頭が痛かった。熱っぽくもあったが、夕方に回復した。
 
 自殺をしたい人のHomePageを見つけた。
  自ら死にたいと思っていたときは、自分では,傷つくのが怖かったのだと
 思う。責められたり、後ろ指をさされたり、永年よくしてくれた友人から
 裏切り者呼ばわりされるのが耐えられなかったのだと思う。

  それは、孤独への恐怖だった。疎外感への恐れだった。
 又、一方で、他人の期待にこたえられない自分への憤りでもあった。
  人生の中で、選択を迫られるときはあろう。
 
 自分が傷つきたくない気持ちが強ければ、きっと他人と距離をおいてしまう。
 なるだけ自分の気持ちや意見を通すまいとする。
 相手にあくまで合わせようとする。
 それではしかし、発展しない気がする。

  そうは割り切れないところもあるのが人間の弱さだが。。


6月25日月曜日 曇りのち晴れ

聖句:「 心に不安のある人は沈み、
    親切なことばは人を喜ばす」箴言12:25


 咳き込んでしまい、なかなか治らない。
 声がまったく変わってしまった。
 熱はまったく引いてしまったが、ただ咳だけがひっきりなしにでる。
 こればっかりは時間をかけて休養しないと治らないのだろうか。

 小学生、中学生の頃は、熱がでて喜んでいたが、
 今は、熱の出るのが怖くなった。
 
 一年前、38度の熱が朝あってそのまま職場へ向かったが、
 昼過ぎには、40度近くまで熱が上がり、まともに座ることも
 できなくなった。
 早退し、帰り道はよく覚えていないが、トンネルをくぐるように
 周りがまっくらになっていた。

 熱は幸い、一日で引いたが、一人暮らしゆえに、もう人生これで
 終わりかとさえ思った。


6月24日日曜日 曇りのち晴れ

聖句:「 熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、
    悪を求めるものには悪が来る」箴言11:27


  今日は主の日。
   徐先生が韓国に行っているので、朝の勉強会は休みだった。
  礼拝メッセージは「人が死んだらどうなるか」というもので、
  地獄へ行った信仰のない金持ちと、
  天国へ行った信仰深い貧乏人ラザロの話だった。
  聖書はルカの福音書だった。
   ルカの福音書は読んでいて一番安心する福音書だ。
  私にとってだが。。  
  
   午後は、教会全体で、青年会が中心となり、路傍伝道をやった。
  初めて参加し、チラシ配りなんかもやったが、天候に恵まれ、
  結構楽しかった。

  来週もやるが、リュート講習会に行くので参加できない。
  一人でも多くの人が集まりますように。


6月23日土曜日 曇りのち晴れ

聖句:「 不義によって得た財宝は役に立たない。
    しかし正義は人を死から救い出す」箴言10:2


  朝、背中が痛かった。
  リュートのレッスンでも、ぼろぼろだった。
  先生が心配してくれた。

  しかし、夕方になって回復してきた。

  帰ってから公開レッスンの予行演習をやった。
  最近入れ込み度合いが少ない。
  これが体調不良の原因のひとつだろうか。

  しかし、心が少し荒れていると思った。
  人を思いやる気持ちに欠けてきている。
  このような状態がいいはずがない。
  そんな風に思っていたら、ますます具合が悪くなった。
  自律神経失調症か、来週点滴でも打とう。

  久しぶりにリュートを出して、
  zamboniの知ってる曲をさらってみた。
  心が静まった。
  
  19世紀ギターで古典をやる計画だ。秋にはぜひ
  「スペインのフォリア/F.ソル」をやりたい。
  しかし、リュートは離れないようにしよう。


6月22日金曜日 曇りのち晴れ

聖句:「 主を恐れることは知恵の初め、
    聖なる方を知ることは悟りである」箴言9:10


  くりさんも書いているが、今日は不快指数が高い人が多いと思う。
 小生も例外ではない。

  最近休業している店が少ない。
 「誠に勝手ながら、、」などと書いて休んだら、倒産してしまうのだろうか。
 しかし、このままだと今に過労で、しかも若くて急死する人が増える
 のではと思う。
  ネットのビジネスが発達して、海外に主導権を握られた形になったら
 夜中に勤務する人が急増し、資源は枯渇し、しまいには「勝ち組」
 に入った人までも、生存の危機に追いやられる。
  ふと、そんな想像をした。
  朝6時に家に帰り、
  「もう朝か、みんな寝なさい」 
 などという、ふくろうのような、またバカボンのパパに勝るとも劣らぬ
 生活が、いつか来るのだろうか。
  
 また、考えすぎかも知れないが、コンピュータの激増で、
 人体への悪影響や、地球温暖化は指摘されないのか。

  東武百貨店の地下で、青汁を飲みながら、そんなことを考えた。

 


6月21日木曜日 雨のち曇り

聖句:「 主を恐れることは悪を憎むことである。
     わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、
     ねじれたことばを憎む。」箴言8:13


  自分の過去に犯した過ちの数々を思い出した。
        死にたいと本気で思ったこと。
        家出をしかけたこと。    
        誰かを悲しませたこと。
    人の期待を裏切ってしまったこと。
  そのようなことで自己嫌悪になるのではなく、
  ありのままを受け入れ、自分が今、過去をどう受け入れ、
  明日の糧にどう活かしていくかを考えたほうが、
  自分も、他人も幸いだと思う。
   考えて、何も見えなくなったら、目の前のことを、機械的に
  やって積み上げてみたり、静かに何も考えないで立ち止まったり、
  思う存分過去のこと(幼少時も含めて)思い出してみる。
   過ぎたことは取り戻せない。しかし、過ぎたことを、よりよい方向へ
  活かすことはできる。
   そう思う。


6月20日水曜日 雨のち曇り

聖句:「 わが子よ。わたしのことばを守り、
    私の命令をあなたのうちにたくわえよ」箴言7:
1

  ややだるい日だった。そろそろ断食でもしようか。
  最近、保険の話でいいことは聞かない。
  民間の保険に加入していない小生は、掛け捨てに入ろう。
  間違っても保険が貯金や投資だとは思わない。
  知らない部分もあるので、むげに否定もできないが。

  今日は疲れがどっと出た。
  もうすぐ公開レッスンの日だ。


6月19日火曜日 曇りのち雨

聖句:「あなたが寝るとき、あなたを見守り、
     あなたが目覚めるとき、あなたに話しかける」箴言6:22


  夕方から雨が降った。
  天気予報が悪い場合は信じるものだと思った。

  三浦綾子さんの「道ありき」を読み直している。
  思えば、この小説がきっかけで信仰への抵抗がなくなった。
  
  一時は信仰を離れそうにもなったが、
  その時はこの本を読み、人間がいかに弱くて、
  自分がいかに傲慢かを思い知る。

  何でも自分を正当化するほうに考えやすいのが人間だ。
  どんな状況にあっても、どんな理不尽な場合でも、
  それを受け入れぬ自分はエゴのかたまりであろう。

  しかし、これは他人には言ってはならない。
  自分自身に言い聞かせるものだ。

 


6月18日月曜日 晴れのち曇り

聖句:「人の道は主の目の前にあり、
    主はその道筋のすべてに目を配っておられる」箴言5:21


  昨日教会で上映された「親分はイエス様」が頭の中で反復される。
 やくざが伴侶の信仰の助けもあり、救われ、伝道者となる実話だが、
 昨日上映試写会が所属教会にて行われた。
 なかなか感動的な話だったが、実話を元にしている。
 礼拝堂が満席になった。
 
  楽しく過ごせた日曜の午後だった。
  映画は本上映も必ず見に行こう。

 やはり帰宅8時は難しいが、せめて9時には帰ろう。


6月17日日曜日 曇りのち晴れ

聖句:「知恵を捨てるな。
    それがあなたを守る。
    これを愛せ。これがあなたを守る」箴言4:6


  今日は父の日。教会では、親父さん(失礼)を対象に、花を配っていた。
 最近あじさいがきれいに咲いている。
 昨日見つけた。田園都市線の溝の口付近にある庭園は、あじさいが
 きれいだった。またいきたい。お茶が和菓子とセットで850円と高いが、
 雅のあるひと時を過ごすには安い。
  
  父の日は今まで贈ったことはなかったが、今年は贈ろうと思い、
 買ってきた。といっても、安い習字道具。(書道が趣味)
 でも今まで贈らなかったのを少し後悔している。
 親父もあと10年生きてくれたらと思う。
 親父さんの生きているうちに、孫の顔を見せてやりたい。
 できれば、の話だが。。。 


6月16日土曜日 曇り

聖句:「心を尽くして主に拠り頼め。
    自分の悟りにたよるな。
    あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
    そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3:5-6

  来週から、夜8時には家に帰りたいと思う。
 家で、いろいろやりたいことがあっても、
 誘いがあったら、融通がきくかぎり
 行っていたが、最近は、人間いくつもの事を
 同時にはできないことがわかり、時間不足に陥った。
 従って、寝る時間を確保できないのを穴埋めするため、
 誰かと食事をしているときでも、その中で寝たりもしている。
 それでは、相手に失礼であるばかりではなく、
 健康にも悪い。また自分のためにも、世の中のためにも
 ならない。

  もちろん、つきあいは、独りの世界を作る時間と同じくらい
 尊いもので、たとえ自分がついていけないたわいもない話題でも、
 今までのその時間は財産だと思っている。

  こういう主張が私にある。
 「すべての他人は先生である」
 勉強にならない人は一人もいない。すべての人がなんらかの形で
 勉強になる。

 でも残念ながら、人間の時間は無制限でないから、選択をしなければ
ならない。
 二人の主人に仕えることはできないのと同じように、人間、時間の使い方
も考えねばならない。時には、よかれと思って選択したことが、
マイナスに働くこともある。


6月13日水曜日 曇りのち雨

聖句:「思慮があなたを守り、英知があなたを保って、
    悪の道からあなたを救い出し、
    ねじれごとを言うものからあなたを救う。」箴言2:11-12

 思慮も英知もそして、ねじれごともすべて自分の中にあると思う。
善人、悪人という判別はしないほうがよい。すべての人が悪人であり、
同時に善人なのだ。言い過ぎだろうか。
 私は、自分の中に潜む「悪魔」を監視することに喜びを覚えている。
それは「弱さ」であったり「エゴ」であったりする。不快感の50%は自分から
出ているのだ。
 しかし、いつもそれを自覚することはきわめて困難で、
下手をすると、自己満足や自己卑下になる。
それをよい人生とはよべない。
 人間の思慮、英知は、自分の力では守れないことに気づく。

 今日は祈祷会だった。
 尾山先生の話は聞けなくて残念だったが、とある兄弟と
 祈る時間が持てたことがうれしかった。

 今日、部屋で、小さな虫を見た。
 週末はバルサンでもたこう。

 


6月12日火曜日 曇り

聖句:「主を恐れることは、知識の初めである。
        愚かな者は、知恵と訓戒を軽蔑する」箴言1:7


 今日から、夜にも聖書を目に通すことにした。いつまで持つかわからない。
しかし、どんなときにも、心のバロメータとなるものが人間に必要だ。
それが論語であっても、偉人の哲学であっても構わない。
 ただ、古今東西多くの人を救ってきた聖書に出会えたのは、
やはり幸いだったと思う。
 そんなわけで、ひと時でも聖書に触れる機会をルーチンワークとして
増やしたい。旧約聖書の「箴言」は知恵の言葉だ。
 ちょっと耳に痛い箇所もあるが、エゴと向き合っていきたい。

 ちょっと劣等性信者だったか、せめて今、個人的な部分からでも
クリスチャンらしい生活を取り戻したい。

 話ががらっと変わるが
最近東武百貨店の常連になってきた。

  あすこの旭日屋書店は品揃えがいい。通路もまぁまぁ広い。
 閉店間際の、意味不明な中国語が味がある。 
 
  地下のジュースショップの青汁を週に3回は飲んでいる。
 店員さんはさすがに顔を覚えてしまい。
 私を見るや、「青汁ですね」という。
 今度青汁半額セールでもやってくれないだろうか。
 ちなみに一杯210円。(税込み)
 昨年は、帰ったらまずビールだったのにな。

  東武は夜9時までになったので、こういう寄り道ができる。
 最近は水曜日も休みでなくなった。 店員さんがちょっとかわいそうだ。

   それにしても、児童の殺人事件はなんとも無残だ。
 児童の学力低下とか、五日制とか(週休2日というと職員室ではいけない
 らしい)いう話題など吹っ飛んでしまう。
 今後は学校の保安管理が強化されるのだろうか。
 それとも責任問題が延々議論されるのだろうか。
 いずれにしても社会の仕組みそのものがよからぬ方向へ
 向かっているのだろう。。弱肉強食がより鮮明になると自殺や殺人が
 増えはしまいかと思う。

 職場トークを一切しないのは、このようなコメントを書きにくくなるからだ。


6月11日月曜日 曇りのち雨

 今日は予想通り夕方雨だった。
 日経NETで朝チェックしたのがよかった。
 この季節になるとめっきり食欲がなくなり、昨年は1日パン一個で
 一日の食事が終わったりもした。
 パンといえば、昨日は教会で聖餐式だった。
 パン切れとぶどう液を飲むもの。
 パンはイエスキリストの体を、ぶどう液は血をあらわす
 そのあと、うどん当番をやったが、大盛りを頼む人が少なかった。
 みんな血と肉で満たされたのだろうか。。

 帰って、少しギターを練習した。
 今度、公開レッスンを受講するので、その課題曲を今覚えている。
 2曲弾く。いずれもフェルナンドソルの練習曲

 しかし、5年ぶりにギターを本格的に再開する。
 リュートから離れたわけではないが、なんかなつかしい。

 しかし、梅雨の時期はジョギングができないからしばし欲求不満になる。




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