シュタイナーとの出会い
孤独な信仰生活でも隠れてでも祈り続けることにより、主が
喜んでらっしゃるのがよくわかる。
神様は、目先の快楽や、生理的な要求に振り回されることを
厳しく戒められる。やはりそういう時は、大きな裁きがふりかかる。
先日、7年前の日記を読む機会があった。忘れかけていた傲慢の罪を
思い出した。人間の日常生活は、虚栄心や、利己的な欲求で満ちている。
しばらく教会を離れて不安のさなかにいる中で主は一人の思想家とめぐり
あわせてくださった。
ルドルフシュタイナーである。
神秘学の中で、思考、感情、意識のバランスが
大事であることを解く。しかし彼はクリスチャンなので、やはりその背後に
神様がいらっしゃることを意識していたのではあるまいか。
思想家を通し、科学万能主義に警笛を鳴らし、主へと心を向かわせてくださった。